(中略)人間が昇る太陽よりも沈む太陽に注意を払うのも、そのためなのである。曙光は人間に、寒暖計や気圧計や、文明化されていない
人々にとっては月の満ち欠けや鳥の飛翔、あるいは潮の干満などの補いになる支持を与えてるに過ぎない。
ところが日没は、人間を高め、彼らの肉体が今日一日を彷徨った、風や寒暖や雨の思いがけない移り変わりを、神秘な形象のうちに集めてみせるのである。
意識の文もまた、空に拡がった綿のような、これらの形の中に読み取ることができる。
沈んでいく太陽の光で空が明るみ初める時(丁度、或る種の芝居で開幕を告げるのが、お定まりの床を三回叩く音ではなく、脚光を照らすことであるかのように)、小径を辿っていた農夫はその歩みを止め、漁師は舟をもやい、未開人は消えかけた火の傍に蹲って瞬きをするのである。
回想するとかいうことは人間にとっても大きな悦楽であるが、しかし記憶が克明に甦るだけその楽しみが増すわけではない。



Forest Swords - Miarches from OESB // FUTURE SOUND on Vimeo.

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